1918年3月初め、27歳の兵卒が診療所でインフルエンザと診断。1週間と経たないうちに、何百人が罹患し、38人が死亡。新型H1N1ウイルスで、2年間スペイン風邪と呼ばれるパンデミック全世界を恐怖におとしいれた。あおったのは、戦争による絶え間ない兵士の流れだった。
1918年秋、H1N1変異種ははるかに毒性が強かった。第二波による死者数は圧倒的だった。翌年、米国で全死者の5割の死因がインフルエンザ、世界での死者数は計1億人と推定される。
世界人口が約18億人で、12週間で世界人口の5%が死亡したことを意味する。若年層が主な罹患者だったため、米国では一夜にして平均寿命が10年縮小した。
なお、COVID-19で縮小した米国人の平均寿命は約1年。
1660年、平均的なイギリス人は30年程しか生きなかった。現在は、まる50年以上長く生きる。人は平均で約2万日も長く生きることになった。1世紀で平均寿命を2倍に延ばし、子供の死亡率を10分の1未満に減らした。
平均寿命は延び続ける?
米国では、オピオイドの過剰摂取と自殺(いわゆる絶望死)の蔓延を経験。この国の平均寿命は3年連続で縮小。スペイン風邪終息以降、最長期間の縮小である。
平均寿命35年の天井
出生児平均余命は、1660年初め、ジョン・グラントによって初めて計算された。︎ 当時、ロンドンで生まれた100人当たり36人が6歳の誕生日前に死亡(36%)。生き延びて青年期を過ぎるのは半分以下、60歳代まで生き残るのは6%に満たない。
一方、狩猟採集民だった祖先は、平均寿命が30年〜35年、子供の死亡率は30%超だったことが後年分かった。
人間は1万年の間に農業・火薬・複式簿記・絵画遠近法などの発明をやってのけたにもかかわらず、死を避けることについてはいっこうに進歩がなかった。
健康格差と平均寿命
1750年頃からイギリス貴族の平均寿命が毎年安定した割合で延び始め、上流階級とその他の人々の間に大差が生じた。1870年半ばまでに平均寿命は60歳に近づいていた。史上初めて、人間の有意な母集団で、平均寿命が着実に延び始めていたことが確認された。
ヤブ医者の「英雄的治療」
上流階級が庶民より長生きし始める前の1世紀、貴族の寿命が庶民より僅かに短い時期がある。豊さ・社会的地位のメリットが、最終的な不利益をもたらした。
医術が非常にに酷かったため、そうした介入が効果より害の方が大きかったためだ。
⭐️ ジョージ・ワシントンの最後 = 拷問マニュアル?
腕の静脈を切開し、4回に分け計3000 ml を瀉血。蜜蝋と牛脂と昆虫の分泌液から作られた刺激物を混ぜ、首に塗り覆う。非常に強力な水泡ができ、それを切開し排液。糖蜜と酢とバターの混合物でうがい。下剤として、塩化第一水銀を飲み、浣腸された。→「百害あって一利なし」
感染症を減らした原因は、医療ではなく、生活水準の全般的な向上であった。主に食卓に並べられる食べ物を増やした農業革命だった。第二次世界大戦が終わるまで、医学的介入は平均寿命に対する効果は限定的だったと考えている。19世紀まで、ほとんどの病院などの医療現場は衝撃的に不衛生な状態であった。
人痘接種とワクチン
少なくとも数千年前から1600年までには、天然痘にほんの少し接触させると抵抗力を持つことが、中国・インド・ペルシアに広がっていた。
18世紀のスウェーデンでは、天然痘による死亡の90%は10歳未満の子供だった。
当時の人痘接種の死亡率は2%もあった。
エドワード・ジェンナー:イギリス人医師で種痘法を開発した「免疫学の父」とされている。→ 1700年代前半に起こった平均寿命の最初の急上昇につながる。
1813年、アメリカ大統領トーマス・ジェファーソンによってワクチン法が成立。
データと疫学
19世紀前半、工業都市リバプールでは、生まれた子供の半分以上が15歳の誕生日前に死亡し、平均的市民は25歳で死亡(大規模統計で最短の平均寿命の記録)。地方の人々の平均寿命は50歳程度。世界一富を生み出す最も先進的な都市の産業化が壊滅的な健康状態を生み出した。原因は、コレラ菌「汚れた水」にあった。19世紀後半、下水道システムにより死亡率が大きく改善。
COVID-19流行による最初の半年間のアメリカ人の死者は、20世紀のあらゆる戦争でのアメリカ人犠牲者合計の半数を超えている。微生物の脅威は、人間の敵の脅威より遥かに大きい。
細菌の脅威と発見(低温殺菌と塩素殺菌)
19世紀に、牛乳が子供の死亡率を押し上げる原因だった期間があった。ルイ・パスツールは、種痘法からワクチンを考え、「細菌学の父」と呼ばれた。低温殺菌法という細菌の繁殖防止システムを考案。1909年、シカゴが初めて牛尿の低温殺菌を義務づけた。
ジョン・レアルという医師が、ジョージシティの公共貯水池にこっそり塩素を加えた。結果、乳幼児死亡率が62%低下。
経口補水療法:コレラで死ぬのは、激しい下痢による重度の脱水・電解質不均衡が原因。死亡率が30%から3%に一桁下がった。
薬害:薬の規制と治療
20世紀初めには、価値のない薬を売ることが法律で禁じられていなかった。世界有数の製薬会社が水銀・ヒ素を基本とする薬を売っていた。
1938年、フランクリン・ルーズベルトが署名して食品衣料品化粧品法が成立。
無作為化対照二重盲検試験:科学史上最大の方法論の発明
抗生物質
1928年、スコットランド人科学者アレクサンダー・フレミングがたまたまブドウ球菌を入れたペトリ皿を開けっぱなしの窓のそばで風雨にさらして放置し、2週間の休暇に出かけてしまう。戻ってくると、青緑色のカビがブドウ球菌の成長を阻止していた。→ ペニシリンの発見
自動車と労働の安全
史上初めて大勢の人が機械に関連する事故で死亡するようになる。蒸気力織機、鉄道機関車、飛行機、自動車など。
19世紀半ばの鉄道労働:車両の連結と切り離しに関わる人たちの10%弱が重傷を負っていた。→全列車に動力ブレーキと自動連結器を装備することを義務付け、死亡率は半分に減った。これが、職場の安全を向上させる初めての法律。
1913年以降の1世紀で、400万人以上が自動車事故で死亡。独立戦争までさかのぼるあらゆる戦争で亡くなったアメリカ人の3倍が自動車事故で亡くなっている。自動車による死亡が平均寿命に与える影響が特に強いのは、若い人の死者が多いからだ。
安全ドアラッチ、三点式シートベルト、緩衝材入りダッシュボード、緩衝材入りサンバイザー、朝顔型ハンドルなど。1958年にボルボは3点式シートベルトを標準装備した。
飢饉の減少
19920年代:50万人を超える人々が飢饉で死亡。
飢饉解消の一番の推進力は、土地利用の拡大、施肥、冬期飼料、輪作など。私たちが長生きできるのは、医者が優秀になったからではなく、農家が優秀になったから。
鶏肉普及:「工場式畜産場」によってニワトリが主要な食料になっていく。20世紀初頭までニワトリは、主に肉ではなく卵を生産するために育てられていた。ブロイラーの方が牛や豚より効率的にタンパク質を産生できることに気づいた。毎年、600億羽のニワトリを食べている。
平均寿命の物語の次章(長寿革命)
AIアルゴリズムによるがん細胞の急成長の停止、アルツハイマー病の損傷したニューロンの修復、アミノ酸鎖データ分析による新しい抗生物質。
シリコンバレーでは、老化そのものを抹消することを研究している。
2人の40歳が子供を作る時、それぞれの精子と卵子は明らかに老化している。しかし、その精子と卵子がつくる接合子は全く老化の兆しを示さない。→ 老化回避の可能性
人類史上最悪の誤り
1150年ごろ、アメリカ先住民は祖先の狩猟採集から、主にトウモロコシの集約栽培という形の初めての農業へと移行。
⇨ 歯のエナメル質欠損が慢性栄養失調を示唆し、骨は鉄欠乏性貧血によって変形し、きつい労働が増えた結果と思われる脊椎変性の症状が見られる。
たいていの農業社会では、平均寿命と子供の死亡率が狩猟採集民族と同じレベルに戻るまでに、何千年もかかった。
人々が実にさまざまな前線で懸命に闘って手に入れた、人生のプラス二万日に対する最大の脅威は、逆説的だが、まさにその勝利によって生じることになるかもしれない。
今から100年後に平均寿命が縮むとしたら、その原因として一番可能性が高いのは、工業化された社会に住む100億の人々が環境に与える影響だろう。
スティーブン・ジョンソン Steven Johnson
『世界をつくった6つの革命の物語――新・人類進化史』『世界を変えた6つの「気晴らし」の物語――新・人類進化史』『世界が動いた「決断」の物語――新・人類進化史』(以上、大田直子訳)、『世界を変えた「海賊」の物語――海賊王ヘンリー・エヴリーとグローバル資本主義の誕生』(山岡由美訳、以上、朝日新聞出版)、『感染地図――歴史を変えた未知の病原体』(矢野真千子訳、河出書房新社)、『完璧な未来(Fut ure Perf ect )』『いいアイデアが生まれるところ(Where Good Ideas Come From)』『空気の発明(The Invention ofAir)』『悪いことはすべてあなたのためになる(Everything Bad Is Good for You)』などベストセラー9冊を著している。影響力のあるさまざまなウェブサイトを立ち上げ、また、PBSとBBCのテレビシリーズ『私たちはどうして現在にいたったか(How We Got to Now)』の共同制作者であり、司会も務めている。妻と3人の息子とともに、カリフォルニア州マリン郡とニューヨーク市ブルックリンで暮らしている。