江戸時代の介護事情 〜介護休暇を取った武士〜
『水野伊織日記』
〜 沼津藩藩士の金沢八郎に対する息子水野重教の介護日記 〜
主病:中風(脳卒中よる半身麻痺などの後遺症)・難治性のしゃっくり。
旗本・御家人・藩士は老後に隠居料が与えられるケースも多かった。
看病引=介護休暇を藩に願い出て認められる。殿様からカステラをもらう。
排泄介助など3人兄弟で世話。自力で寝返りができなくなる。
重教の兄嫁はしゅうとの八郎と不仲でケアに非協力的であった。
女性でなく男性が介護の中心役になることが主であった。
看病断(かんびょうことわり)
〜 武士が利用した介護休業制度 〜
江戸幕府は、1742年(寛保二年)、父母や妻子が病気の際には無条件で、祖父母・叔父叔母の場合はその内容次第により介護休業を認める制度を整備。
当時の要介護状態となる原因 〜孝義録から〜
現在(2019年)
認知症:24.3%、脳血管疾患:19.2%
江戸時代
『孝義録』で善行者として、「孝行」で表彰された人々の記録から。
1位:眼病(盲目・失明)、2位:中風
- 認知症も「心疾」「狂疾」の記録はあるが、当時は病気として扱われていない可能性あり。
- 眼病の多さ:炊事や風呂、火鉢などで受ける炭の煙、便所の水蒸気が原因か。
認知症の記録
『随筆百科苑』:「朝飯をあがりて、すぐさま飯をくわせよといふ。」
江戸時代の「老い」の捉え方
- 平均寿命は30歳代。5〜6歳までに死亡する確率が高かったため。
- 死亡率が高い危険な年齢を過ぎれば平均余命は長く、70歳以上の長寿者も稀ではなかった。
- 50歳が若年層と高齢層を分ける一つの基準としている見方が一般的。
- 隠居は、病気隠居と老衰隠居。老衰隠居は70歳とされていた。70歳を過ぎても隠居せず、死の直前まで働く武士も多かった。
井原西鶴
「二十四、五歳までは親の言うことを聞いて働き、四十五歳までに財産を築いて、老後は遊び楽しんで生きるのが理想の人生。」
江戸時代以前の「老い」 古代〜中世期の高齢者観
「大宝律令」→改訂され「養老律令」
高齢者を対象とする救済・ケア制度が盛り込まれている。
3歳以下:「黄」、4歳〜16歳:「小」、17歳〜20歳:「中」、21歳以上:「丁」、61歳〜65歳:「老」、66歳以上:「耆」 「耆」は、課役の対象外
社会通念として持たれていた「老い」の認識
『黄帝内経霊枢』:最古の医学書
おおむね50歳台を老人の開始時期。60歳台以降を完全な老年期。
参賀
平安時代に中国から移入された儀式・儀礼の一つで敬老の祝い。40歳から十年ごとに長寿を祝う儀式。特に、「よそぢの賀」として40歳の賀が最も広く行われていた。つまり、貴族たちの間では40歳が老いの境界として認識されていた。
高齢世代まで生きられた人はどのくらいいた?
『公卿補任』:高官職員録 平安期の公卿270名についての死亡時の記録
20〜29歳:5名、30〜39歳:13名、40〜49歳:25名、50〜59歳:86名、60〜69歳:71名、70〜79歳:57名、80〜90歳:13名 例えば、右大臣 藤原実資 90歳まで生きた。
『枕草子』:清少納言
若さ=プラスイメージ、老い=マイナスイメージ
『徒然草』:兼好法師
「老いは『みにくき姿』になること。四十歳未満で死ぬのがちょうど良い。」
江戸時代以前の介護事情 古代〜中世期の介護
『今昔物語集』
- 巻二十七に「人の親でひどく年老いた者は、鬼となって我が子をも食おうとする。」
- 巻三十一に「老いた人の世話は、身内が愛情を持ってするもの。」
『沙石集』
〜 鎌倉時代の仏教説話集 〜
第四巻 「きちんと介護してもらうには妻子が必要。」「介護を受ける場合は親子の契りこそ頼りになる。」
聖徳太子
高齢者以外の世代も含めた要援護者に対するケアが始まったのは、593年(推古天皇元年)に聖徳太子が大阪の四天王寺において、悲田院(ひでんいん)、敬田院(きょうでんいん)、施薬院(せやくいん)、療病院(りょうびょういん)の四箇院(しかいん)を設立。
死穢(しえ)の思想
死の穢れを避けるため、律令制度では施行細則である「式」において専用の固定がされていた。
→ 下人・召使は専用の仮屋、家から離れた葬地などで死を迎え、悲惨な最後だった。
当時の人々が介護をした理由
①「情」の論理 愛情や感謝
②「儒」の倫理 中国からの影響
孔子の儒学の影響 親を敬って大切にすべき「孝」 目上の人に従順になるべき「悌」
③「仏」の論理 仏教からの影響
古代 崇仏派の蘇我氏が廃仏派の物部氏を打ち破り、国策として仏教普及が始まる。
孝行・寄付をするものは、極楽へ。行わないものは、地獄へ。
④「互酬」の論理 ギブアンドテイク
介護負担に対して、見返りに物が与えられたり、譲られたりする。
4つの論理、それぞれにおける「弱点」というべき問題もある。
古代〜中世期の「姥捨て」
姥捨て物語:子が親に対して行う棄老(きろう)行為。
日本各地で昔話として総話数は1387話、パターンは4つに分類される。
①「運搬具型」
老親を父がその子供と共に山に捨てに行き、子が手輿を持ち帰ろうとする。理由を聞くと、父を捨てる時に使うと答えた。
②「老親の知恵型」
70歳を超えた高齢者を他国に追い出す掟を持つ国。しかし、大臣は母親を地下室に隠す。様々な難問をこの母親に尋ねて解決。それを国王に話したところ、高齢者は尊ぶべきと掟が廃止された。
③「老親福運型」
息子の妻が老親を捨てるようにそそのかし、息子がその言葉に従って捨てに行くものの、連れ戻し、結末としては老親が幸せになる内容。妻が罰せられるパターンもある。
④「枝折り型」
鎌倉時代の『曽我物語』に登場。姑が山に捨てられる際に、息子だけでも道に迷わずに無事帰ってほしいと、来た道がわかるように枝を折っていった。
共通した点は、基本的にどの物語も結果として老親が救われたり、幸福になったりしている。
江戸時代の「介護に向かわせる」価値観
江戸時代のセーフティネット
五人組
地域内に住む庶民を5軒ごとに組織化し、それぞれの家に相互監視と連帯責任を課す制度。
キリシタンのチェック、治安維持、税収の確保、構成員同士のケアに関する役割。
『続地方落穂集』
〜 村役人などの手引き書 〜
「老いて身内がいない人については、村の役人・指導層であった庄屋・年寄・組頭が相談して対応すべし。」
幕藩による高齢者の救済制度
- 小石川養成所
徳川吉宗の命により、設立された貧窮民のための療養施設。 - 災害発生時に困窮者に米を支給する制度が制定。
- 70歳以上で一定の条件を満たしたものに、町内積立金から手当を支給する制度。
﨑井 将之(さきい・まさゆき)
1976年生まれ。首都大学東京大学院社会科学研究科後期博士課程単位取得退学。哲学、国際市民社会論で修士号を取得。大手老人ホーム検索サイトで高齢者福祉関連ニュース記事を執筆。著書に『哲学のおさらい』。