「人間嫌い」のルール

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 昨年(2006年)7月に還暦を迎え、一方で、本当にもうじき死んでしまうのだなあとしみじみ思うと同時に、他方で、ずいぶん気が楽になった。
 現代の基準からすると、60歳ははっきりした「終止の歳」、すなわち、まともな労働力として評価されなくなる歳、半人間に格下げされる歳である。
 5年前より、いかなる親戚付き合いをも絶っている。「社会的不適格者」という太鼓判を押されたようで、とても嬉しかった。

  1. 人間を酷く「嫌う」ある面
  2. 人間嫌いとは
    1. 人間嫌いの発生
      1. 人間嫌いがとる形態
      2. 一種の自己防衛
        1. 「関西人が嫌い」「女教師が嫌い」
        2. 「人間が普遍的に嫌い」
    2. 自他に対する誠実さに過敏な人
    3. 誠実と思いやり
      1. 『菊と刀』ルース・ベネディクト
    4. 人間嫌いにならない「おとな」
    5. 他人に無関心な人
    6. 人間嫌いの分類学
      1. ① 動物愛好型
      2. ② アルセスト型
      3. ③ 自己優位型
      4. ④ モラリスト型
      5. ⑤ ペシミスト型
      6. ⑥ 逃走型
      7. ⑦ 仙人型
    7. 社交的人間嫌い
  3. 共感ゲームから降りる
    1. 感情教育
      1. 1 ) 共感第一段階
      2. 2 ) 共感第二段階
    2. 共感理論
    3. 現在の魔女裁判
    4. 共感ゲームと誠実さ
    5. 共感の押し付けに対抗する
    6. 共感と同情
    7. オルテガによる大衆の定義
    8. 故郷喪失者
  4. ひとりでできる仕事を見つける
    1. 人間嫌いに見合った仕事
    2. 組織の中で人間嫌いが(比較的)許されるのは次の場合である
  5. 他人に何も期待しない
    1. 兼好法師は言う
    2. 善人の暴力
    3. 信頼すること自体は善でも悪でもない
    4. 人間嫌いにとっての理想的人間関係
    5. 他人の評価に振り回されない
    6. 人間嫌いと社会的成功
  6. 人間嫌いと家族
  7. 人間嫌いの共同体
    1. 人間嫌いとして人生を全うする(しかも充実して)ためのルール
      1. ① なるべくひとりでいる訓練をする
      2. ② したくないことはなるべくしない
      3. ③ したいことは徹底的にする
      4. ④ 自分の信念にどこまでも忠実に生きる
      5. ⑤ 自分の感受性を大切にする
      6. ⑥ 心にもないことは語らない
      7. ⑦ いかに人が困窮していても(頼まれなければ)何もしない
      8. ⑧ 非人間嫌い(一般人)との「接触事故」を起こさない
      9. ⑨ 自分を「正しい」と思ってはならない
      10. ⑩ いつでも死ぬ準備をしている

人間を酷く「嫌う」ある面

 「よいこと」を絶対の自信をもって、私に強要する。とりわけ共感を、つまり他人が喜んでいるときに喜ぶように、他人が悲しんでいる時に悲しむように、私にたえず強要する。

 60歳まで生き抜いてきた現在、もうごまかしはやめようと思い立ち、今までの数々の仕打ちを細大漏らさずに吟味し探求するために、残りの人生を費やそうと決心した。
 ゆったりと生きられる別のルール、世間で普通言われているルールとは、はなはだしく異なっているルールを求めて。

人間嫌いとは

 人間嫌いと自称している者で、人間が普遍的に嫌いな輩は、ほとんどいない。

人間嫌いの発生

人間嫌いがとる形態

( 1 ) 特定の他人が、自分に対してわずかでも害悪を及ぼさないときでも、どうしても嫌いである。
( 2 ) 自分が他人から理不尽に、嫌われるとき、苦しみを覚える。
( 3 ) この苦境を脱出する唯一の方法は、他人を普遍的に嫌ってしまうことである。
 ( 1 )+( 2 ) → ( 3 ) に「光」を見るとき、人間嫌いは完成される。

一種の自己防衛

「関西人が嫌い」「女教師が嫌い」

 善人どもから反感の波が押し寄せる。

「人間が普遍的に嫌い」

 かわいそうな人とささやかれ、同情の眼差しで見られ、「病気なんだ」とつぶやかれ、それほどの反感を買わない。

自他に対する誠実さに過敏な人

 人間嫌いを別の角度から見れば、自他の感受性や信念に対して誠実性の要求が高い人。他人の不誠実な態度に対して不寛容な感受性という形で現れる。
 さらに、他人の不誠実さに対する不快感と並んで、自分自身の不誠実さに対する不快感が表裏一体となっていなければならない。
 「ずるい人」は、ほとんどの文化や時代において一定してマイナスの評価を与えられる。

誠実と思いやり

『菊と刀』ルース・ベネディクト

 アメリカ人にとって誠実とは心に思ったことをそのまま表明すること。
 日本人にとっては、心に思っても、相手を傷つける場合は誠実でない。「相手を傷つけない。」ことは、日本人にとって誠実さより重要な原理ということである。

人間嫌いにならない「おとな」

 人間嫌いは必ずしも社会生活不適格者なのではない。
 絶対的多数を占める善人集団は、ある人が嫌いではあるけど、それを押し隠してあたかも嫌いでないかのように振舞う術を体得している。自分の演技的態度こそ正しいと心から信じている。こういう人種に真顔で説教され、まさに彼らによって人間嫌いが生産される。

他人に無関心な人

 眼前の人間固有の特性には興味がない。誰の悪口も言わない。誰の私生活にも、ちょっとした失敗にも、些細な欠点にも、全く関心がない。自己防衛の砦を、自分が他人によって傷つかない城を構築している。そして、そういう自分が全然嫌いでないのだ。→ 狭義の人間嫌いには入らない。

人間嫌いの分類学

① 動物愛好型

 弱い人間嫌い。人間は嘘をつく、動物は正直、という思想。

② アルセスト型

 人間の心の醜さやずるさに辟易して「人間はなぜもっと美しい心を持てないのか。」と嘆くタイプ。自分は純粋だと思っている精神的発育不良。

③ 自己優位型

 人間嫌いの中で一番多い。
 自分が優れているため、彼ら(バカな人、鈍感な人、趣味の悪い人)が自分の高みに至らないため。自分には、愚鈍な輩を嫌う権利がある。

④ モラリスト型

 人間の心の醜さを背けるのではなく、それをあえて観察の対象にしようと決意した人間嫌い。

⑤ ペシミスト型

 人間や人生に対して深い恨みを抱いているタイプ。

⑥ 逃走型

 芭蕉や山頭火のように社会から逃れて放浪するタイプ、または、山に籠るタイプ。

⑦ 仙人型

 極めて少数だが、世の中を達観した人間嫌い。愚かな俗物どもを「優しく見守る」人間嫌い。

社交的人間嫌い

 きわめて如才なく、人あたりがよく、社交的でさえある人間嫌いもいる。微に入り細を穿って自らを守ってきた。
 ノブレス・オブリージュ(社会的に優位に立つ者の義務)に基づく貴族のたしなみかもしれない。

共感ゲームから降りる

感情教育

「感情教育」は言葉の習得と並行している。個人の感受性は、人生の開始から社会によって徹底的に調教される。

1 ) 共感第一段階

 言語を習得する段階において調教される人間にとって最も基本的な「共通感覚」の形成。

2 ) 共感第二段階

 基本的な感情の文法をマスターした後に、個々の子供が、自分の感情の他人との(わずかな)違いに気づくことによって形成される段階。

共感理論

 共感的態度が形成されていなければダメであり、共感的態度にはかなりのスキルが必要。共感の有する演技的性格を指し示す。共感とは、共感すべきことを共感すべきように自分を仕向けている意志である。

現在の魔女裁判

 何に共感すべきか、共同体の有する風土の中で個人の共感能力は形成される。共同体においてプラスの価値を有する事柄に対して共感する者は賞賛され、それに共感しない者は非難される。「弱者に対する共感」=「同情」が規範化されている。
 人は実に共感していないのに共感したふりをする。実は共感しているのに、共感していないそぶりをする。

共感ゲームと誠実さ

 他人に対する共感は、自他に対する誠実さを大切にする人間嫌いにとって、難題中の難題である。自分の感受性を誤魔化すことができない。だが、その結果、他人を傷つけ、不快にさせ、その場の空気を濁らせる。人間嫌いはそういう場面をなるべく回避しようとして一人でいようとするのである。

共感の押し付けに対抗する

 私は、知人が結婚しても子供が授かっても、ちっとも嬉しくない。これは、凄まじい悪意とみなされてしまう。さらに、他人の幸福に対して共感しないより、不幸に対して共感しないほうが社会的圧力は強い。
 私はクラス会や同窓会には行かない。かつて多少親しくしていた誰にも、もはや死ぬまで会いたくない。小学校から大学までの同級生で今も付き合っている人は皆無である。

共感と同情

 同情とは、相手が苦しんでいる場合に限定された共感。自分は、弱く、貧しく、醜いから前である。お前は、強く、豊で、美しいから悪である。
 同情する人は、同情に本来含まれている見下しの感情をひた隠しに隠さねばならない。

オルテガによる大衆の定義

 大衆とは、善い意味でも悪い意味でも、自分自身に特殊な価値を認めようとはせず、自分は「すべての人」と同じであると感じ、そのことに苦痛を覚えるどころか、ほかの人々と同一であることに喜びを見出しているすべての人のことである。

故郷喪失者

 人間嫌いは、あらゆる人間からの独立を目指すと同時に、あらゆる土地、風土、故郷からの独立を目指す。私はかつて住んだ土地に対する愛着がまったくない。祖国日本が地上から消失したとしても、とくに困ることはない。
 実直な人間同士の結びつきを求める作家は、ことごとく故郷讃美者である。

ひとりでできる仕事を見つける

人間嫌いに見合った仕事

 西洋近代化社会における理想的な男とは「仕事ができて、女にモテる。」
 世の中は、二十歳の男には寛大であっても四十歳の男には寛大でない。
 仕事を通して自分の思想・信念・美学を表現しなければならない。たとえ好きなことを仕事にするチャンスに恵まれたとしても、あなたは直ちに幸福になるわけではない。重要なことは、人間嫌いに見合った仕事を見つけることである。

組織の中で人間嫌いが(比較的)許されるのは次の場合である

  1. 仕事ができること。
  2. 勤勉であること。
  3. 誠実であること。

 組織の中で自分の信念を貫くには、仕事ができることが必須の条件であり最大の武器である。

他人に何も期待しない

兼好法師は言う

 この世のほとんどの不幸は、他人に過剰に期待することに起因するのではないか。
 道徳的次元における期待とは、相手の好意に、思いやりに、優しさに期待することである。人間嫌いとは、この次元での期待することを最小限度に留めるべきだと考える者であり、これを最大限度まで拡大すべきだと考える世の善人たちとは基本的に相容れない。

善人の暴力

 善良な人が善良であるがゆえの果てしない暴力に怒りを覚える。信頼は危ない綱渡りであり、わずかに平衡感覚を失うことによってたちまち転落してしまう。

信頼すること自体は善でも悪でもない

 双方的信頼とは互いに信頼し合う連帯関係のことだが、善いことに結びつくとは限らない。信頼は倫理学の言葉を使えば、「無記名」なのだ。それ自体として善くも悪くもなく、善にも悪にも加担できる。

人間嫌いにとっての理想的人間関係

 相手を支配することなく、相手から支配されることのない、相手に信頼や愛を押しつけることも、相手から信頼や愛を押しつけられることもない関係である。

他人の評価に振り回されない

 他人の評価に一喜一憂しないこと、これは他人からの独立を目指すためには必須不可欠なルールである。他人からの評価を求めないという訓練の究極の段階は、他人から無視されることに慣れることである。かつての知人が、「会いたい。」と言ってきても、はっきり「いえ、会いたくありません。」と断る。

人間嫌いと社会的成功

 人間嫌いの多くは、大多数の人間は嫌いだが、その大多数の嫌いな人間から賞賛されるのは好きなのだ。人間嫌いをその中核で動かしている動力は自己愛であり、他の人のわがままも許すから、こちらのわがままも許してもらいたい。

人間嫌いと家族

 人間嫌いの者は、必ずしも家族嫌悪症ばかりではない。正真正銘の人間嫌いであって、かつ家族至上主義者と言える者さえいる。家族の絆だけは信じる人間嫌いもいるのである。自分を守ってくれるのは家族だけだという堅い信念をもっている者である。
 様々なライフスタイルの一環に「人間嫌い」というライフスタイルも滑り込ませることが私の狙いである。

人間嫌いの共同体

 誰にも何も期待しない共同体

人間嫌いとして人生を全うする(しかも充実して)ためのルール

① なるべくひとりでいる訓練をする

 ひとりでできる仕事を獲得する。趣味と安楽に明け暮れる生活はすぐに飽きてしまう。

② したくないことはなるべくしない

③ したいことは徹底的にする

 ただし、危険と背中合わせなのだ。

④ 自分の信念にどこまでも忠実に生きる

 人間嫌いの共同体とは、「気難しさ」の共同体と言いかえてもよい。他人を理解するために人生の大部分を捧げることはない。

⑤ 自分の感受性を大切にする

⑥ 心にもないことは語らない

 人はなぜ心にもないことを語るのか? → 相手のためというより、むしろ自己防衛のため。

⑦ いかに人が困窮していても(頼まれなければ)何もしない

 むやみに他人に干渉しない。
 他人の困窮を見て見ぬふりをすることではない。

⑧ 非人間嫌い(一般人)との「接触事故」を起こさない

 一通りのコミュニケーションの努力をした後に「通じない」とわかったら、できるだけ離れているに越したことはない。

⑨ 自分を「正しい」と思ってはならない

 どちらが正しいわけでもなく、両者は異なっているだけなのだ。

⑩ いつでも死ぬ準備をしている

 いつも人生の不条理の大枠を作っている死を見据えていたい。このルールだけは、いかなる共同体を形成してもどうなるものでもない。

著者

中島義道
1946(昭和21)年福岡県生れ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。哲学博士(ウィーン大学)。2009(平成21)年、電気通信大学教授を退官。著書に『ウィーン愛憎』『哲学の教科書』『〈対話〉のない社会』『孤独について』『人生を〈半分〉降りる』『私の嫌いな10の言葉』『働くことがイヤな人のための本』『続・ウィーン愛憎』『悪について』『狂人三歩手前』『人生に生きる価値はない』『人生、しょせん気晴らし』『差別感情の哲学』『ウィーン家族』『英語コンプレックスの正体』などがある。

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